幼少期 ~ 高校
農家の孫、サラリーマン家庭の娘、信州大好きっ子として育つ
- 信州で生まれ育った父と宮崎県出身の母のもとに生まれる。年子の弟が二人と、13歳離れた弟1人の4人きょうだいです。
- 毎年お盆と正月は信州で過ごし、夏休みと冬休みの思い出は信州でした。祖父母が中山間地域の厳しい環境で稲作とタバコ栽培に励む姿を見て育ち、昔は養蚕やきのこ栽培、冬は出稼ぎをして生計を立てていた話もよく聞きました。「誰かのために一生懸命働く」ことを実践し続けた祖父母は生き方の手本です。
- 小さい頃から運動が大好き。運動会では小中高と毎年リレーの選手に。中高は6年間バドミントン部でした。

稲刈りを手伝う様子
大学生
社会のために何をしたいか、できるかを模索した学生時代
- 生まれた環境で個人の選択が制約されない社会をどうやったら作れるか、が一番の関心事でした。休暇中には、ベトナムの貧困地区での教育ボランティアやマレーシアの先住民での養殖事業の支援、廃材を利用した商品開発を行うタイの女性起業家の支援等に取り組む。日本国内での望まない妊娠や児童虐待の問題にもNPO法人でのインターンシップも経験。
- バックパックでのひとり旅が大好きで、ガラケーしかない時代に地球の歩き方片手に東南アジア、アフリカ、旧ユーゴスラビア諸国などを旅行。
- 日本文化を体現する武道への憧れから、体育会空手道部(松濤館流)に入部。その後、時間はかかったものの、初段を取り、黒帯を結べるように。

ボランティア先の子どもたちと

バックパック旅行では、日本人というだけで助けてもらった温かい交流も
外務省、駆け出し時代
世界を舞台に国益を追求するやりがいの一方、「ふるさとのために働きたい」思いを強く持つ
- アフリカ第二課(東南部の英語圏のアフリカ諸国を担当)、北米第二課(北米地域との経済関係)に配属。最初の大仕事は民間企業17社と一緒に行く、エチオピア、ルワンダ、タンザニアへの官民合同での貿易・投資促進ミッションでした。
- オバマ当時米大統領の広島訪問の準備チームにも入り、米現職大統領初めての広島訪問実現に貢献。核兵器のない世界の実現に向けたあゆみの一歩に立ち会えたこと、いまでも私の財産です。
- この頃、祖父の体調が悪化し、頻繁に父の実家のある中山間地に通うようになりました。85歳近くまで田畑を守ってきた祖父でしたが、続けられなくなる。周囲でもそのような家が増え、空き家が増え、大好きなふるさとの景色が失われつつある現状を目の当たりにし、「ふるさとのために働きたい」という思いを強くしました。

旧中条村での御柱祭に参加

オバマ当時米大統領の広島訪問も米チームと仕上げる
外務省、海外駐在時代
いずれ信州のためにという思いを胸に、世界に学び、世界と渡り合う
- いずれ信州に帰り、信州のために働く、という思いで、同僚の多くが外交専門のコースに進む中、公共政策を広く学べる米国のハーバード大学ケネディスクールの公共政策修士課程に進む。政治倫理やリーダーシップ論のほか、エビデンス(証拠)に基づく政策立案(EBPM: Evidence Based Policy Making)の考え方を統計、経済学の観点から徹底的に学びました。
- 駐在先は、日本の経済的地位が相対的に低下する中での多国間外交の重要性、そして、何よりヨーロッパの地方の在り方も学びたいという思いから、スイスを希望。約2年間、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部で経済交渉に従事。
- 休暇中は、フランス、スイス、イタリア、ドイツ等の小さな町村を訪れ、地域が元気な理由を探りました。スイスでは、土日ほとんどのお店が閉まるので、自然と足は山へ。山の持つ魅力を改めて発見し、トレッキングをこの頃から開始。

ハーバード大学院卒業式。地球儀を持つのが伝統

ケニアの国連常駐調整官事務所での同僚と

スイスでのトレッキング
外務省から民間企業への転職
安全保障政策の第一線で働く一方、地域を元気にする一翼を担いたいという思いで、民間企業への転職を決断
- 安全保障政策課では、政策立案、関係省庁、関係国との調整に奔走。経済安全保障政策室の立ち上げも担い、当時新たな政策分野であった経済安全保障分野での関係国との協力枠組みの立ち上げにも従事。
- 信州への移住を検討するため、移住促進のバスツアーや移住者向けセミナーに度々参加。地域に縁のない人が多く参加していおり、田舎での暮らしの魅力、関心が多く持たれていることを実感する。
- 一方で、速いスピードで人口減少は続いており、地域活動の中で、地方での人口流出を防ぐには、雇用が重要な要素の一つであることを実感。経済面から地域に貢献できるよう、企業の経営課題解決支援を行うマッキンゼー・アンド・カンパニーに転職。日本各地の企業で、企業の皆様と机を並べて、事業戦略の立案や生産性向上等を支援(東京で働いたのは2週間だけ)。

おやき作りを地域の皆様と

夏休みは決まって長野県で登山
参議院選挙長野県区第一支部長として活動中
信州の地域の課題を解決できる即戦力になりたいという思いで決断
- 「神社も移さなくちゃいけないかもしれない」昨年秋、地域の人からの一言でした。思い出がたくさん詰まった大好きな神社―そこまで議論しなくてはいけなくなってしまったのかとショックを受ける。
- 人口減少が避けられなくなっている中、そのスピードと影響をいかに緩和させられるかー統計で見える以上に一部の地域では早く進み、実生活に影響を与えるこの課題には、地域医療、交通、産業振興、移住促進、少子化対策、多岐にわたる政策面でのアプローチが必要だと痛感。
- これまでの外交・安全保障での国際社会で国益を守ることに加え、ふるさと長野県のために地域の声を政策から支える力になりたいーその思いで、公募に手を挙げる決断をいたしました。現在参議院選挙長野県区第一支部長として活動中です。
活動の様子


